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自由と革命の時代

産業革命 (Industrial Revolution)前編

あらすじ

big5
「フランス革命以来、ヨーロッパでは革命の嵐が吹き荒れることになりました。ヨーロッパ各国の政治はフランス革命をきっかけにして大きく変化し始めたわけです。そんな政治世界の革命を裏で支えていたのは、ひそかに進行していた産業界の革命、産業革命(Industrial Revolution)です。」
名もなきOL
「産業革命って話を聞いている時は面白いと思うんですけど、高校生の時は苦手でしたね。人と発明内容の組み合わせをなかなか覚えられなくて、キライでした。。」
big5
「高校世界史では、単なる暗記で終わることが多い「産業革命」ですが、大人になった今なら、もう少し面白く感じると思いますよ。まず、産業革命を産業分野で分けると、だいたい以下のように分けることができます。
(1) ワットの蒸気機関に代表される「動力の革命」 ⇒ 蒸気機関車や蒸気船が誕生する。

(2)服や布などを作る繊維工業における技術革新

(3)蒸気機関の基礎となる製鉄業

産業革命は多くの方が研究対象として取り上げているので、どこからどこまでを産業革命ととらえるかは、様々な説がありますが、私個人は上記の3点に分けて考えています。このページでも、この3点に基づいて紹介していきますね。」

産業革命イベント 政治イベント
1708年 (蒸気機関)ニューコメンが鉱山で実用化された蒸気機関を発明
1709年 (製鉄)ダービーがコークス製鉄法を開始
1714年 ラシュタット条約締結(スペイン継承戦争 終結)
1733年 (繊維)ジョン・ケイが飛び杼を発明
1763年 七年戦争終結
1764年 (繊維)ハーグリーブスがジェニー紡績機を発明
1769年 (繊維)アークライトが水力紡績機を発明
(蒸気機関)ワットが蒸気機関を大幅に改良
1775年 アメリカ独立戦争 開戦
1779年 (繊維)クロンプトンがミュール紡績機を発明
1782年 (蒸気機関)ワットが蒸気機関の回転運動転換の特許を取得
1783年 アメリカ独立戦争終結
1784年 (繊維)カートライトが力織機を発明
1785年 (製鉄)ヘンリ・コートがパドル炉(攪拌高炉)の特許を得る
1789年 フランス革命 始まる
1803年 (蒸気機関)フルトンがセーヌ川で蒸気船の遡上実験に成功
1804年 (蒸気機関)トレビシックが蒸気機関車を発明 ナポレオンがフランス皇帝に即位
1807年 (蒸気機関)フルトンが蒸気船を建造 ナポレオンがポルトガル征服
1814年 (蒸気機関)スティーヴンソンが蒸気機関車を製作 ナポレオン退位
1825年 (蒸気機関)ストックトン&ダーリントン鉄道でスティーブンソンの「ロコモーション号」が運航開始 デカブリストの乱
1830年 (蒸気機関)リヴァプール・マンチェスター鉄道会社が営業開始 フランス七月革命

蒸気機関の発明 ニューコメンの蒸気機関

big5
「さて、産業革命の一番の肝といえばやっぱり蒸気機関です。蒸気機関の登場と発達が、世の中を大きく変えたと言ってもいいくらいです。」
名もなきOL
「蒸気機関といえば、ワットさんですよね。ワットさんが、蒸気機関を発明したんですよね?」
big5
「半分正解ですが、半分間違いです。まずはそこから始めましょうか。蒸気機関といえば、代表的な人物はワット(James Watt)です。ワットは既存の蒸気機関を大幅に改良することに成功し、これが後にスティーヴンソンによる蒸気機関車やフルトンの蒸気船などの、新しい乗り物の基礎となりました。なので、ワットの功績はとても重要です。ただ、誤解されやすいのが「ワットが蒸気機関を発明した」という話ですね。蒸気機関自体は、ワットが生まれた時に既に存在していました。よく言われているワットのエピソードは、こんなかんじの話です。

ワットはお湯を沸かしているやかんの蓋がコトコト動いていることに注目して、蒸気機関発明のアイディアを得ました。なんと素晴らしい観察力と発想なんでしょう。

これはだいぶ誤解を与えるエピソードです。まず、先にも述べたように、蒸気機関はワットが生まれる前から存在していました。なので、ワットが蒸気機関を発明したわけではありません。」
名もなきOL
「なーんだ、作り話だったんですね。ちょっとガッカリ。。」
big5
「少しだけフォローしますと、ワットは蒸気機関を研究する中で、やかんでお湯を沸かして研究を行っていたそうなので、やかんと蒸気機関はまったく無関係、というわけではありません。
さて、ここまで話したところで、まずは蒸気機関の誕生から話を始めましょう。
蒸気の力でモノを動かす、という発想は古代から存在していました。確認できる最古の蒸気を原動力とした機関は、ローマ帝国初期にエジプトのアレクサンドリアでヘロンという人物が考案していたものだそうです。ただ、これはまだ「蒸気でモノを動かす」だけで、産業に使えるほどの力を生み出すことはできませんでした。その後、近世ヨーロッパでは、実用化を目指した蒸気機関が考案されて発表されたりしましたが、まだまだ実用性には乏しいものでした。そんな中、1708年にニューコメン(Newcomen この年44歳)が石炭鉱山での排水装置として、実用化に成功したのが最初の大きな一歩になったんです。」
名もなきOL
「石炭鉱山の排水装置、ですか。なんかイメージつかないな。。」
big5
「装置の図があります。こんなのです↓」

Newcomens Dampfmaschine aus Meyers 1890

big5
「当時のイギリスでは、石炭の需要が増加していました。主な使い道は家庭用暖房の燃料です。石炭鉱山では、石炭を求めて坑道を掘り進んでいくわけですが、この時に出てくる地下水が邪魔になるので、どうにかして地下水を排水する必要があったんです。」
名もなきOL
「なるほど。地下水が邪魔だから処分するんですね。」
big5
「これまでは人や馬が地下水を排水していたのですが、水を運ぶのってけっこうな重労働です。地下水を排水できる効率的な機械が発明されれば、鉱山の効率は大きく改善できることになります。そんな中、蒸気機関を使った排水装置を開発したのが、ニューコメンだったんです。」
名もなきOL
「へ〜、ニューコメンさん、凄いじゃないですか!蒸気機関のパイオニアなんですね!でも、ニューコメンさんって、ワットさんに比べるとだいぶ知名度が低いですよね。何か理由があるんですか?」
big5
「そうですね。理由はいろいろとあると思いますが、主要なものは以下2点だと思います。

1.ニューコメンの蒸気機関は、熱効率や出力の点でワットの蒸気機関よりも弱く、蒸気機関車や蒸気船の開発に直接繋がるほどのものではなかった。
2.ワットに比べて史料が少なく、調べるのが難しい。謎な部分もけっこう多い。

一般的な知名度が低いものの、蒸気機関が発展する道筋をつけた、という点では、重要な役割を果たしたのがニューコメンです。知る人ぞ知る、という渋さが光る人物だと思います。」

蒸気機関の発達 ワットの蒸気機関

big5
「さて、ニューコメンが開発した蒸気機関を大幅に改良したのが、有名なワット(Watt)です。」

Watt James von Breda
ジェームズ・ワット肖像画  作成者:Carl Frederick von Breda 作成年:1792年

big5
「ワットはスコットランドの計測器の技術士でした。子供のころから手先が器用だったそうです。」
名もなきOL
「それが長じて仕事になったんですね。いいな〜、自分の特技を活用した職業に就けるなんて、羨ましいです。」
big5
「そんなワットの転機になったのは、グラスゴー大学でニューコメン式の蒸気機関の模型を修理する、という機会を掴んだことです。ワットはニューコメン式の蒸気機関を綿密に調べ、修理すると同時にニューコメン式の問題点を発見しました。」
名もなきOL
「どんな問題点があったんですか?」
big5
「技術的な詳しい話は私もできないのですが、ニューコメン式はシリンダーを加熱⇒冷却⇒加熱⇒冷却、という流れを繰り返していたので、冷やすたびに熱が失われて効率が良くなかったそうです。では、どうすれば熱を失わずに動かかすことができるのか?ワットが出した答えは、シリンダーと冷却装置を分離する、というものでした。1765年(この年ワット29歳)この方法で、ワットは蒸気機関の熱効率を大幅に向上させることに成功。1769年には特許を取得しました。ただ、ワットの業績はこれだけに留まらなかったのが、彼を世界史に名を残す偉人にしたんです。ワットは、ボールトンという会社経営に優れたパートナーと組んで会社を興していたのですが、このボールトンから、蒸気機関を鉱山の揚水装置だけに使うのではなく、研磨や紡績などにも使えないかというリクエストを得たんです。これまでの蒸気機関は、上下運動だけだったんですね。運動する方向を変えることができれば、用途はさらに広がります。ワットは歯車の機構を使うことで上下運動を回転運動に変えることに成功し、1782年に特許を得ました。これによって、蒸気機関は工場にある機械を動かす原動機としても使われるようになり、イギリスの産業革命を支える大きな役割を果たすことになったんです。いろいろとネタが豊富な産業革命の中でも、ワットの功績は大変重要で影響力が強いものだった、というわけですね。」
名もなきOL
「なるほど〜。それで、世界史でも必ず出てくる重要人物になったわけですね。納得です。」
big5
「さて、次はワットが大きく進化させた蒸気機関を用いた、乗り物の話に移りましょうか。」

蒸気船の登場 フルトンの蒸気船発明

big5
「ワットが改良した蒸気機関により、蒸気機関は動力として応用されることになりました。いち早く実用化されたのが船です。蒸気船の登場ですね。」
名もなきOL
「蒸気船って、そういえば幕末に日本にやってきたペリーが乗ってきた船が蒸気船でしたっけ?」
big5
「そうですね。正確には、蒸気機関と帆を併用するタイプの船なので、蒸気機関のみではありません。それでも、当時の多くの日本人には衝撃的だったと思います。さて、蒸気機関で動く船の開発に成功したのは、アメリカ人のロバート・フルトン(Robert Fulton)です。高校世界史では単に「フルトン」と呼ばれていますね。」

Fulton.jpg
パブリック・ドメイン, リンク

ロバート・フルトン 肖像画

big5
「フルトンはもともと肖像画家としての道を歩んでいたのですが、アメリカ独立からまだ間もない1786年(この年フルトン21歳)に絵の勉強のためにイギリスへ渡りました。ここで、産業革命による大きな社会変革の真っただ中にあったイギリスを見て、絵ではなく産業技術に興味を持つことになります。フルトンは、産業技術にも優れた能力を示し、大理石を切断する鋸に関する特許を取ったり、ナポレオン全盛期のフランスに渡って世界初となる潜水艦の開発を提案したりしていました。」
名もなきOL
「もうこの時代に潜水艦の話が出たりしているんですね!なんだかすごいなぁ・・」
big5
「ですが、潜水艦のアイディアは採用されませんでした。フルトンは、潜水艦がダメでも蒸気で動く船、蒸気船はどうか、ということで、1803年(この年フルトン38歳)に長さ31メートルの外輪船を試作し、セーヌ川を遡る実験を行って成功させました。」
名もなきOL
「外輪船って何ですか?」
big5
「船に水車のような輪をつけて、それを回すことで推進力を得る仕組みの船ですね。こんなかんじの船です。」

Jagienka Warta
船の横側(舷側)に外輪がついた船

名もなきOL
「あ、見たことある!どこだったかな、観光地で遊覧船がこんな船だったと思います。」
big5
「そうですね、現代では趣のある船ですからね。当時は、これが最新型の船でした。さて、蒸気船の実験に成功したフルトンでしたが、フランス政府にフルトンの蒸気船は受け入れられませんでした。それならば、とフルトンはイギリスに戻って自分の蒸気船を売り込みますが、イギリスも採用を見送り。最終的に、フルトンはアメリカに帰国し、ハドソン川でニューヨークとオールバニ間約150マイル(約240km)を約32時間で走る定期便を運行することになりました。それまで、ハドソン川では帆船を使った河川交通があったのですが、こちらは風の影響を受けるので、フルトンの蒸気船よりも早かったり遅かったりです。それに比べると、蒸気船は風の影響をあまり受けないので、蒸気船の登場は交通経済に大きな影響を与えましたね。
ちなみに、この時フルトンの蒸気船を動かしていた蒸気機関は、ワットが作った会社が製造したものだったんですよ。」
名もなきOL
「へ〜〜、おもしろいですね。まさに「歴史が繋がっている」んですね。」

蒸気機関車の登場 スティーヴンソンが蒸気機関車を開発

名もなきOL
「最後は蒸気機関車ですね。私もこれは高校で習ったのを覚えています。スティーブンソンが蒸気機関車を発明したんですよね。」
big5
「え〜、それは実はよくある誤解なんです。蒸気機関車を「発明」したのは、スティーブンソンではなくてトレビシックなんです。ただ、その後蒸気機関車を世の中に広めるのに大きな役割を果たしたのが、スティーブンソンで、今ではスティーブンソンの方が有名ですね。これは、ワットが蒸気機関を発明したわけではないですが、蒸気機関を大幅に改良したことで有名になっているのに似ていますね。」
名もなきOL
「へ〜、歴史って奥が深いですね。でも、あんまり登場人物が増えすぎると、覚えきれなくなっちゃうかな。。」
big5
「受験とかテスト対策でないのなら、人名とかは忘れていいと思いますよ。ただ、話の一部だけでも覚えておけば、後で自分で調べることができます。この場合は、「蒸気機関車を発明したのは、実は有名なスティーブンソンではない」という部分だけでも覚えておけば、後で自分で「誰が発明したんだっけ?」と調べることができます。細部は後で補えるので、まずは中核の部分を知っておきましょう。さて、まずはトレビシックの話から始めましょうか。」
Trevithick Richard Linnell
リチャード・トレビシック肖像画  作成者:John, Linnell 作成年:1816年1月1日

big5
トレビシック(Trevithick)は1771年にイギリス南西部のコーンウォールで生まれました。父はリチャード・トレビシックで、このトレビシックと同じ名前です。欧米によくある習慣ですね。父リチャードは鉱山の監督、母のアンは鉱山夫の娘という家庭に生まれ、幼い頃から鉱山が身近な環境で育ちました。19歳の時、鉱山で働き始めたトレビシックは、蒸気機関で動く機械を見て大きな興味を持って研究を開始。蒸気機関を高圧で使うことによってより強い力を出すことに成功しました。1804年、トレビシックは蒸気機関車「ペナダレン号」を完成させ、実際に10トンの鉄と70人が乗った5両の客車を引いて、約16kmを4時間ほどで走行することに成功しました。これが、記録に残っている中で最古の蒸気機関車の運行記録だそうです。」
TrevithicksEngine
ペナダレン号のレプリカ 国立ウォーターフロント博物館蔵

名もなきOL
「約16kmを4時間ということは、時速4kmくらいですね。人間が歩くのと同じくらいのゆっくりしたスピードですね。でも、これが史上初の成功なら、もっとトレビシックさんは有名になってもいいんじゃないか、と思います。」
big5
「トレビシックの蒸気機関車は成功したものの、線路や車輪の技術にまだまだ課題が残されていたんです。そのため、トレビシックの蒸気機関車はその後廃止されてしまいました。トレビシックは蒸気機関車の改良に努めたのですが、技術的な問題は解決されずに断念。その後は、高圧蒸気機関を別のものに応用することに取り組み始め、蒸気機関車の開発は止めてしまったんです。蒸気機関車が普及するのは、もう少し時を経てスティーブンソンが登場してからになります。」
名もなきOL
「なるほど、そういうトレビシックさんの蒸気機関車はそういう経緯だったんですね。」
big5
「それでは、今回最後の登場人物であるスティーブンソン(George Stephenson)の話に移りましょう。」

GeorgeStephenson

big5
「スティーブンソンは1781年にイギリス北部のノーサンバーランド州で生まれました。貧しい家庭に生まれたスティーブンソンは学校教育を受けることができず、18歳まで無学だったそうです。19歳になってから、夜間学校で読み書きを学ぶようになりましたが、大学に通って学んだりはできませんでした。」
名もなきOL
「それはある意味凄いですね。専門的な勉強をしたわけでもないのに、蒸気機関車を作って普及させてしまうなんて。普通じゃできないことですよね。」
big5
「まったくそのとおりだと思います。そのため、スティーブンソンはイギリスで「立身出世の代表例」として取り上げられているそうですよ。
さて、そんなスティーブンソンが技術の道を歩み始めたのは1811年(この年30歳)、別の炭鉱で故障したポンプの修理を上手く行ったことが評価されて技師に昇進。周囲の炭鉱すべての機械を担当することになったことが始まりになりました。ここから、スティーブンソンは多くの蒸気機関に接することになります。」
名もなきOL
「実績を評価されて昇進って、まさに現場からの叩き上げなんですね。カッコいいな。」
big5
「それから3年後の1814年(この年33歳)、スティーブンソンは石炭輸送のための蒸気機関車の設計を始めました。この頃には、既にトレビシックが蒸気機関車の走行を成功させていたので、複数の人が蒸気機関車の実用化に向けて実験と開発を行っていました。スティーブンソンもそんな人たちの一人だったわけですね。ただ、スティーブンソンが作製した蒸気機関車は、群を抜く性能を誇っていました。「ブリュヘル」と名付けたスティーブンソンの蒸気機関車は、30トンの石炭を運んで時速6.4kmで坂を登ることができる、というものでした。」
名もなきOL
「トレビシックさんが成功させたペナダレン号と比べると、だいぶ性能が上がっているんですね。ちなみに「ブリュヘル」という名前の由来は何ですか?」
big5
「プロイセンで人望があった将軍の名前です。1814年は、ナポレオンが敗れて退位した年ですよね。その前年の1813年のライプツィヒの戦いで、プロイセン軍を率いたのがブリュヘルでした。
さて、スティーブンソンの名をさらに上げることになったのが、1825年から始まったストックトン&ダーリントン鉄道の運行です。スティーブンソンは会社を立ち上げて、この鉄道を走る蒸気機関車の製作に取り掛かりました。完成した蒸気機関車は「ロコモーション1号(Locomotion No.1)」と名付けられ、1825年9月27日から運行を開始。最初の運行はスティーブンソン自らが運転し、80トンの石炭と乗客を乗せて2時間で15kmを走行しました。最高速度は時速39kmにも及んだそうです。」

Locomotion No. 1.
ロコモーション1号のレプリカ

big5
「ここから、鉄道の敷設が欧米で一気に進んでいくことになります。そのはしりとなったのが、1830年から営業を開始したリヴァプール&マンチェスター鉄道です。この鉄道は、地元の商人らが中心となって出資した会社が、土地を調査して線路を敷設して蒸気機関車を走らせる、という計画でした。当時、マンチェスターはイギリス有数の綿製品の産地で、リヴァプールは輸出港でした。この2都市を鉄道で結ぶことで、綿製品の大量輸送を効率的に行おうとしたわけですね。リヴァプール&マンチェスター鉄道を走る蒸気機関車の選定は、「競争」で決めることになりました。」
名もなきOL
「競争って、もしかして蒸気機関車のレースですか?」
big5
「その通りです。この競争は5台の蒸気機関車で争われ、勝ったのはスティーブンソンの「ロケット」号でした。この勝利で、スティーブンソンの会社がリヴァプール&マンチェスター鉄道の蒸気機関車を製造する契約を獲得し、スティーブンソンは「蒸気機関車の第一任者」としての地位を不動のものにしたわけです。
その後も、スティーブンソンの元には欧米各地の鉄道会社から引っ張り凧となり、忙しい毎日を過ごしていました。またスティーブンソンの下で技師として働いた技術者も育成され、彼はその技術をもって各地で鉄道事業に活躍することになりました。蒸気機関車や蒸気船の発明は「交通革命」と呼ばれることもありますが、蒸気機関車については、スティーブンソンの名が歴史に刻まれることになったわけですね。」
名もなきOL
「産業革命って、凄いですね。鉄道とかが出てくると、一気に時代が現代に近づいた気がしますね。」
big5
「技術革新って、歴史の中ではすごい重要なんですよ。産業革命は、特にそれが顕著ですね。ここで取り上げた人物や技術については、より深い話もあるのですが、本編では割愛します。さて、長くなったのでいったんここで切り上げて、次ページで製鉄業と繊維業における産業革命を見ていきましょうか。」



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